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かばん
(バイロイト・
リヒャルト・ワーグナー
博物館所蔵) |
| 1849 |
ドレスデン革命に参加、スイスへ亡命。
51年にかけて数々の論文を発表。 |
| 1850 |
《ローエングリン》ヴァイマルで初演 |
| 1852 |
ヴェーゼンドンク夫妻と知り合う。 |
| 1853 |
《ニーベルングの指環》4部作の台本を私費出版。 |
| 1854 |
《ラインの黄金》完成。 |
| 1856 |
《ヴァルキューレ》完成。 |
| 1857 |
ヴェーゼンドンク邸に隣接する避難所
(アジール)に移住。 |
| 1858 |
「避難所」を去りイタリアへ。 |
| 1855 |
ロンドン楽旅の途路にパリ万国博を見学。 |
| 1858 |
マティルデと別れ、ヴェネツィアで《トリスタン》の作曲に没頭。 |
| 1859 |
半年間ルツェルンに滞在し、《トリスタンとイゾルデ》を完成。 |
| 1860 |
ザクセン以外のドイツで追放解除。自作の演奏会(3回)。 |
| 1861 |
《タンホイザー》(パリ版)オペラ座で初演。 妨害にあうが、ボードレールが強い関心を寄せる。
ヴェネツィアでティツィアーノの「聖母昇天(アスンタ)」に出会う。 |
| 1864 |
ルードヴィヒ2世、ワーグナーをミュンヘンに招聘、王宮にて謁見。 |
| 1865 |
《トリスタンとイゾルデ》初演。
政治的スキャンダルとコジマとのスキャンダルが重なり、ミュンヘンを退去。 |
| 1866 |
別居中の妻ミンナの急逝後、ルツェルン郊外トリープシェンに移住。コジマも同居。 |
| 1867 |
《ニュルンベルクのマイスタージンガー》完成 |
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| 1868 |
ミュンヘンで《マイスタージンガー》初演。《ジークフリート》の作曲を再開 |
| 1869 |
長男ジークフリート誕生
ミュンヘンでワーグナーの意志に反し《ラインの黄金》初演 |
| 1870 |
ミュンヘンでワーグナーの意志に反し《ヴァルキューレ》初演。
コジマと正式に結婚。《ジークフリート牧歌》完成。 |
| 1871 |
《ジークフリート》完成。バイロイトを訪れ、祝祭劇場建設を決意。 |
| 1872 |
バイロイトに移住。祝祭劇場定礎式。 同日、辺境伯劇場での記念演奏会で《第九》を指揮。
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| 1874 |
私邸バーンフリート完成。《神々の黄昏》が完成し、 《ニーベルングの指環》4部作、遂に完結。 |
| 1876 |
《ニーベルングの指環》4部作の初演。 9月から12月にかけて、イタリア各地で保養。 |
| 1880 |
主にナポリに滞在し、画家の
ジューコフスキーと知りあう。
《パルジファル》への造形的な
インスピレーションを得る。 |


ワーグナーの右手、
ブロンズ
(バイロイト・
リヒャルト・ワーグナー
博物館所蔵) |
| 1881 |
11月から翌年4月までパレルモ、
ナポリ、ヴェローナ、ヴェネツィア
に滞在。
パレルモでルノワールのモデルとなる。 |
| 1882 |
《パルジファル》完成。
祝祭劇場で初演。ヴェネツィアへ旅立つ。
クリスマスに、ラ・フェニーチェ劇場で
旧作《交響曲》ハ長調を指揮、
生涯最後の指揮となる。 |
| 1883 |
2月13日、滞在中のヴェンドラミン館で
死去。享年69歳。 |